古来例外なく男系継承が維持されてきたとは言えない実例検証・補足

本文:

【前提】

これまでの政府答弁や皇室典範関連の有識者会議報告書(平成17年11月24日、令和3年12月22日)には「古来例外なく男系継承が維持されてきた」旨が見受けられるが、果たして本当にそう言えるのだろうか。

父、父の父、父の父の父…といった形で男性血統を遡っていくどこかで歴代天皇の誰かに繋がる人物を男系子孫(男系)というなら、歴代天皇は全て男系である、ということはできる。

しかし、それは後世の視点から系図を元に逆算した見方とも言える。

逆算ではなく、当時の事情を踏まえ誰から(の血筋を重く見て)皇位継承がなされたのかを丁寧に見ていくと、必ずしも男系継承ではない、あるいは男系継承のみとは言えない事例もあることがわかる。

【当記事の位置付け】

下記記事を元に図を含めて補足したもの。

高森明勅公式サイト>古来例外なく男系継承が維持されてきたとは言えない実例検証

【当記事における図の凡例】

【歴代の女性天皇】

①推古天皇(第33代)=父親・欽明天皇/母親・蘇我堅塩媛(男系の女子)

②皇極天皇(第35代)・③斉明天皇(第37代)=父親・茅渟王/母親・吉備姫王(父母共に天皇の孫〔2世〕)…重祚の事例

④持統天皇(第41代)=父親・天智天皇/母親・蘇我遠智娘(男系の女子)

⑤元明天皇(第43代)=父親・天智天皇/母親・蘇我姪娘(男系の女子)

⑥元正天皇(第44代)=父親・草壁皇子/母親・元明天皇(女系の女子←「大宝継嗣令」の“女帝の子”に該当)

⑦孝謙天皇(第46代)⑧称徳天皇(第48代)=父親・聖武天皇/母親・藤原安宿媛(男系の女子)…重祚の事例

⑨明正天皇(第109代)=父親・後水尾天皇/母親・徳川和子(男系の女子)

⑩後桜町天皇(第117代)=父親・桜町天皇/母親・二条舎子(男系の女子)

【男系継承の例】

歴代女性天皇のうち①④⑤⑦⑧⑨⑩の7例は、父は天皇だが母は天皇でも皇族でもないため「男系継承」と言える。

【女系継承の例】

父母共に皇統に属してはいるが、当時の、“女帝の子”は(父親の男性皇族の血筋=男系ではなく)母親である女性天皇の血筋=女系とするルール、に照らし「女系継承」と言える。

【双系継承の例】

父母共に皇統に属し天皇からの血縁の遠さも同じ(天皇の孫)なので「双系継承」と言える。

【男性天皇だが双系的継承と見なせる例 その1】

天智天皇・天武天皇(兄弟)は父母共に天皇であるため双系的継承といえる。

【男性天皇だが双系的継承と見なせる例 その2】

文武天皇(第42代)は即位時点では父母ともに皇族(元明天皇は文武天皇の後に即位)であるため双系的継承といえる。

【男性天皇だが男系継承とは言い切れない例】

欽明天皇(第29代)は父が天皇で母が皇女なので普通なら男系継承と見るべきところだが簡単には言い切れない。

父である継体天皇は傍系としても桁違いな血統の遠さである一方、母の手白香皇女は先々代(仁賢天皇)の皇女(1世)であり先代(武烈天皇)の姉に当たる。

手白香皇女の子ではない欽明天皇の異母兄(安閑天皇、宣化天皇)の血筋にその後の皇位が引き継がれていないことから見ても、欽明天皇は女系と位置付けられていた可能性が高い。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。